
写真は、“撮る”のではなく、
“表現する”もの。
多くの著名人を撮影してきた
プロカメラマンは理念を映す。
有限会社ライブワン代表取締役 カメラマン
菅野 勝男 さんに学ぶ
所在地大阪府 豊中市
社長の事業定義
フォトコンサルティング業
- #稲盛和夫
- #studio.contrail
- #ポートレート
- #遺影写真
- #経営者撮影
- #著名人撮影
- #LiVE ONE
- #ドローン撮影
- #盛和塾
菅野 勝男 さんの
学びのキーワード
菅野 勝男 さんのココに学びたい
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一つのエピソード
きっかけは、ホント突然降ってきた!
一浪で受験した大学もすべて不合格。そんなある日、朝起きて天井を見て突然「カメラマンになろう!」と決めてしまった。なぜそう考えたのか全く分からないのだが、何の迷いもなかった。
そのことを伝えると母は泣いたという。ところが、その母が写真の専門学校を紹介してくれたのだった。良きアシスタント先にも恵まれ、居心地がよかったが、バブル崩壊で再就職先を探すことになる。 -
成し遂げたこと
独立したのは38歳の時、自宅兼事務所での船出であった。
VIPの撮影が多かった前の事務所のつながりで、多くの企業家、著名人を撮影するようになる。
その中でも一番の思い出は、稲盛和夫・京セラ創業者だ。ビジネス雑誌の連続企画で稲盛氏の地元・鹿児島での撮影。当日は大雨だったが、撮影直前に雨がやみ、撮影場所周辺は荘厳な雰囲気だったという。稲盛氏は、靴も泥だらけになっていたが、いやな顔をせず撮影に応じられていた。良いアングルを探すうち、匍匐前進で撮影する菅野を見て「あいつはプロやな」と言われたことを、後から聞いたという。この撮影が菅野の写真道を突き進むうえでの、大きな礎になるのだった。
菅野勝男さんの想いを読み解くキーワード
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1
企業家・独立
- ● アシスタント先でも、所属事務所でも、居心地よすぎて独立遅れる。
- ● 結婚していたので、独立をあきらめていたということがあるのかもしれない。
- ● 300万円の独立資金のうち120万円は母に借り、残りはカメラなどの資産をあてた。
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2
LiVE ONE:ライブワン
- ● フォト伴走者 被写体となる人と答え合わせをする仕事。
- ● 人であろうと、物であろうと、その瞬間、瞬間に生命を感じさせる、そのさまを表現していく。
- ● ポートレート撮影には事前に1時間ほどお話をする 簡単な撮影はお断り!
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3
ブランディング
- ● 菅野勝男が映す意味…理念を映す、そして菅野勝男を表現する。
- ● 写すは記録でしかなく、内に秘めたものを映し出すことがたいせつ。
- ● 言葉ではなかなか表現できないこと、自分を表現したい。
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4
地域貢献・地元密着
- ● 2011年東京から大阪へ 仲間からは都落ちかとうわさされた。
- ● でもなぜか、「大阪へ戻らないと!」と考えていた。
- ● 大きなスタジオを持てることに意味がある。
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5
新商品・新事業開発
- ● 遺影写真に力を入れていきたい その人のためではなく、残された人のために。
- ● 先祖代々家宝になるもの、遺影写真の残念を無くしたい。
- ● みんな自分の顔を知らない。自分を肯定できるそんな写真を撮りたい。
菅野 勝男 さんの哲学
被写体になる人またはその依頼者がどう感じてくれるのかを、常に考えながらシャッターを切る!
原点はすべて、人に喜んでもらうため。
皆さんが喜び、認めてくれたからこそ、
40年シャッターを切り続けてこれた。

Profile
菅野 勝男(すがの・かつお)
- 1964年
6月14日 大阪府高槻市生まれ
生後すぐ家族で東京へ
東京写真専門学校(現東京ビジュアルアーツアカデミー)卒業後、広告カメラマンの元でアシスタント、その後、写真プロダクション所属 - 2002年
独立 有限会社ライブワン設立
- 2011年
Studio Contrailを豊中市に開設
大阪を拠点とする
みちびらき・岩﨑 隆の着目ポイント!
何で小さなころ数か月しかいなかった大阪へ「戻らないとあかん!」と考えたのかは未だに謎なのです。
菅野さんのような活動をしているカメラマンなら間違いなく仕事は東京が中心のはず!それをあえて大阪へ戻るとは?!
つまり菅野さんは自分にも正直な人なのだと思います。自分の想い、志、考えに忠実に従ってきた。それが突然降ってきたかのように突飛な行動にも見えるけど、菅野さんにとってはとてもまっとうでど真ん中、正しい考動なのだろうと思います。

こんな方にはぜひお薦めです
- 自分のいい写真がないなあという企業経営者
- 遺影写真を是非撮ってもらおうという高齢の社長、会長