モノづくりの
一翼を担ってきた成形メーカー
元気、やる気、負けん気、そして正義感、
どんな時も前向きの見本のような
親分肌社長。

株式会社 新ナンポー化学工業所代表取締役社長

南原 秀樹 さんに学ぶ

所在地兵庫県丹波市

社長の事業定義

プラスチック加工組立業

  • #プラスチック成型
  • #熱硬化性樹脂
  • #タイ
  • #家電製品組み立て
  • #パナソニック
  • #フェノール樹脂
  • #射出成形

南原 秀樹 さんのココに学びたい

  • 会社を続ける!供給責任。「迷惑かけられへんやろ!」
  • タイの社員にも日本人と同じことを言う。
    「人として正しくあれ」
  • 悩んだ時は草刈りをする!一心不乱に同じことを繰り返す。

会得のヒント

どんな大きな問題が起きても、
決して「厳しい」とか「辛い」とは思わなかった。
「神様が与えてくれた試練、お前ならどうする?
試されてるんやな!」と考えてやってきた。

Movie

「大切にしている言葉」

  • 一つのエピソード

    災いも試練。貫く正義感で取り組み続けて、今がある。

    平成元年、尼崎市にあった本社工場が火災で全焼した。しかし南原は「再興や!」と声を上げ、父である社長とも激論を交わしながら、5カ月で現在の地・丹波市春日に新工場を建築、大手家電メーカーへの部品供給を再開した。とにかくお客様に迷惑をかけるわけにはいかない、供給責任があるとの正義感からの行動だった。父には「お前!ホンマにやるんやな!」と念を押されたという。主力工場移転から30年以上、今やここ丹波が地元と語れるまでになり、地域貢献活動の一環で始めたミニバスケット指導も長く続く。

  • 成し遂げたこと

    モノづくりの海外進出、そこにもこだわりを持つこと。

    東日本大震災で日本のモノづくりに大きな影響が出た。南原は、このまま大手家電メーカー中心の仕事だけではダメだろうと危機感を募らせた。ある程度事業も安定し、資金面の不安のない今がチャンス。そう決断してタイ、バンコックへ進出した。
    理想的な工場を目指しているが、未だ中途半端だという工場はすでに25名の社員がいる。つい最近までは南原が毎月出張で行くだけで日本人スタッフも置いていなかったが、最近管理者を常駐させ仕事もたいへん忙しいという。

南原 秀樹さんの“想い”を読み解くキーワード

  • 1

    父親が創業した祖業が強み。

    • ● 熱硬化性プラスチックがあることが、強みであり特徴。
    • ● 手間暇かかる仕事、皆がやりたがらない仕事、皆が止めていった仕事。
    • ● 新しいマーケットもきっとある 未来はここにある?!
  • 2

    盛和塾での学び。

    • ● 稲盛塾長の影響は大きい。多くの著書を読み、社員に勧める。
    • ● 「人として正しい事」たとえ当社を退職しても、社会に通用する人になれ。
  • 3

    東日本大震災でタイ進出を決意。

    • ● ある程度事業も安定し、資金面の余裕もできた。
    • ● 日本国内だけで仕事している事への危機感、震災後の不況。
  • 4

    未来を考える。

    • ● この仕事の未来、地元・丹波の未来、社員の未来。
    • ● 未来を考えると、「あとは好きにせよ」と言って簡単に譲渡できるものではない。
  • 5

    会社はトップの器通りの会社になる。

    • ● 自身のチャンネルを広げ、専門的な勉強もしておくべきだった。
    • ● 人を育てているか?!
    • ● 社長は何を思い、何を考え、どうするのか?!

南原 秀樹 さんの哲学

人を育てる。売上を上げる!
会社は、人を育てることが一番大切。
その為には、ダボハゼでも仕事を取る。

Profile

南原 秀樹(なんばら・ひでき)

  • 1956年

    大阪市生まれ

  • 1979年

    近畿大学卒業後、すぐに父親の創業した新ナンポー化学工業所に入社

  • 1989年

    尼崎市にあった本社工場が火災で全焼
    5か月後には、兵庫県丹波市に新工場を再建し、
    出荷を始める。

  • 1994年

    代表取締役就任

  • 2013年

    タイ進出。SHINNAOPO Thailand 設立

株式会社 新ナンポー化学工業所

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推薦人さまからひと言

南原社長との出会いは、松下電器産業の共栄会社時代の会合でした。物事をはっきり言われ信頼感の厚い印象で、その時から40年来のお付き会いです。バスケットをされていた南原社長は、学生時代からオフェンス・ディフェンスのバランス感覚の優れた持ち主で、事業も、海外進出・国内製造と多岐にわたって攻守のバランスを取りながら経営されている人間味溢れる方です。

みちびらき・岩﨑 隆の着目ポイント!

昭和30年代・40年代創業者が始めた日本のモノづくり企業も、2代目が事業継承を考える世代になってきた。高度経済成長を支えた事業領域のままで、この先どこまで仕事を成長発展させられるのか、誰もが考え悩むところだろう。答えはない。共に考え悩みながらその先を目指していこう。

こんな方にはぜひお薦めです

  • これからに悩む、モノづくり企業・加工業の、2代目、3代目経営者
  • 大手企業の下請け会社としての生き残り策を模索する会社幹部、社長
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