千年の歴史「京鹿の子絞」の技を受け継ぎ
デジタル技術を融合した新発想の絞まで
革新を率先する染色伝統工芸士。
株式会社京都絞美京代表取締役
京鹿の子絞染色伝統工芸士
松岡 輝一 さんに学ぶ
所在地京都府京都市
社長の事業定義
積極的創造業
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松岡 輝一 さんの
学びのキーワード
松岡 輝一 さんのココに学びたい
- 父の後ろ姿を子供のころから見ていた。
父を尊敬している。 - 和装産業ピーク時2兆円。今は3000億円。
- 父は常に変化し、変化を怖がっていなかった。
会得のヒント
京都の伝統産業は常にイノベーション。
古い技法は重要だが、その上に重ねるように革新する。
Movie
「大切にしている言葉」
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一つのエピソード
ピークから一転・縮小の時代に、
あえて革新・グローバルに目を向ける。1937年祖父が友禅職人として創業、父が加工業から一貫生産に切り替え製品まで扱うようになり、松岡が3代目を引き継いだ。父の時代・忙しかった頃、着物の白い反物が山と積まれ、とにかく家じゅう・店中が忙しい雰囲気だった、と振り返る。オイルショック等不況の波を乗り越えてきた和装産業は、ピーク時2兆円産業だったが2000年以降目に見えて減少し、3000億円弱の市場規模に。松岡は父から引継いだ技術を洋装へ、住関連、アート関連へ、そして海外へも目を向けて革新していこうとしている。
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成し遂げたこと
伝統の技と新しいデジタル技術、和装だけでなく洋装も、そして海外でコラボへ。
京鹿の子絞の伝統工芸士でもある松岡だが、古い技術をベースに全く新しい独自の技法を生み出した。伝統工芸の課題でもある道具をつくる職人の減少に3Dプリンターを使った新しい道具の開発を行ったのだ。これは「デジタル3D絞」として商標登録済。また、和装だけではなく洋装への活用で独自ファッションブランド「KIZOMÉ」を立ち上げ、自ら飛び込み営業まで行い、パリ・ニューヨークなどでの販売、また海外ブランドとのコラボも実現している。
松岡 輝一さんの秘密に迫るキーワード
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1
自宅が仕事場だった子供の頃。着物の生産をすべて見ていた。
- ● 寝食は職人と一緒に。ハサミ、針、糸、反物に触れて育った。
- ● 親から言われた訳でなく、自然とこの仕事をやることになった。
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2
日本の伝統的なものがいろいろな場面で見直されている。和装も必ず残る。
- ● 衣食住のうち、衣と住で絞技法が活用できる。
- ● ファッション、アート、空間デザイン。
- ● 今からが伝統産業界の手腕を試される時代。
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3
業界の中ではトップランナーでありたい。
- ● 業界を引っ張っていく。同業者にいい影響を与えていく。
- ● 伝統工芸産業に貢献する必要性を感じている。
- ● 必要でない技術・会社は淘汰される。
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4
事業継承 息子には特に何も言わない。
父もそうだった。- ● 「やりたい」と言ってくれることが大切。
- ● 線路はひかない。自分で歩むべき。
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5
若い人へ 仕事は待つものじゃない、仕事は与えられるものじゃない。
- ● 自ら創造する。自分で開発する。
- ● 積極的に挑戦する。
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京表具伝統工芸士
田中 善茂さま
推薦人さまからひと言
私と松岡さんとは、ヒョンな所から同じ目標を持つ職人同士意気投合し、パリをはじめとする海外展開に積極的に取り組んで来ました。彼は、自分の会社だけではなく「京鹿の子絞」という業界全体の発展を信じ、一歩一歩真面目に、それでいて大胆に取り組まれるような方です。京都の伝統産業会には必要な人材です!
みちびらき・岩﨑 隆の着目ポイント!
「伝統は革新の連続」、京都で活躍する多くの伝統産業従事者はこの言葉を使われます。祖父の代から、常に進化し、常に新しいことに挑戦し続けてきたからこそ、今の京都絞美京があるという信念なんでしょう。そしてまた業界にいい影響を与えていきたいというお言葉からもその強い信念を感じます。
こんな方にはぜひお薦めです
- 家業をいかに継承するか、そのために自身には何が必要か、聞いてみたい経営者
- 自社の商材を活かして海外に販路を求めたい、そのヒントをつかみたい企業幹部