事業の窮地から、街の再生に
お寺までつくってしまった。
人生の解とは?

宗教法人弘昌寺 真言宗山階派千日山護法院・弘昌寺住職

鳥居 弘昌 さんに学ぶ

所在地大阪府大阪市

社長の事業定義

街づくり・地域再生事業

  • #お寺の住職
  • #ビル・ホールオーナー
  • #落語とダンス

鳥居 弘昌 さんのココに学びたい

  • 会社が危機に陥った時、経営は立て直せるのか。
  • 予期しない出来事に、向き合った時の考え。
  • 人生を生きる上で、大切なことを優先させること。

会得のヒント

自分らしくあるために何を選択するか、
それが人生を生きるということ。

Movie

「大切にしている言葉」

  • 一つのエピソード

    事業の窮地を転換させたのは
    「愛する街に自分になにができるのか」という問い直し。

    商業ビル(鳥居ビル)を経営する実業家・鳥居さん。
    親から受け継いだ旅館の跡地に建てたビルが、バブル崩壊のあおりを受ける。
    運営事業でも、イベントホールへ前衛舞踏グループを招聘するなど、
    あの手この手で立て直しをはかるが、たびたび窮地に立たされた。
    そんな鳥居さんが危機を脱し、さらに仏の道に進んだキッカケは何だったのか。
    愛するミナミの街に寺を開き、檀信徒とともに大切に守り続ける理由は何なのか。
    それをひも解いていくと、一本につながる道が見えてくる。

  • 成し遂げたこと

    ミナミ再生の最初の一歩は、人の拠り所を取り戻すこと。
    「寺のない街」に、弘昌寺を開山に踏み出した。

    ● ビルオーナーを務めるかたわら、仏の道の門をくぐり修行に励んだ18年。
    ● ミナミ再生の出発点として、53歳で弘昌寺を開山。ミナミらしさを取り戻す活動促進。
    大阪ミナミの千日前には、江戸時代多くの寺が立ち並んでいたが、明治以降の区画整理や戦災によって次々と失われ、2008年竹林寺の移転を最後に完全に姿を消した。
    このままではミナミは死んでしまう――。いたたまれなくなった鳥居さんは、ビルオーナーを務めるかたわら、18年間修行を積んだ仏の道にしたがい、弘昌寺を開いた。寺は、街の「軸」となる存在だ。
    寺があるからこそ、一本「芯」の通った街ができる。鳥居さんは、そう信じている。
    いまミナミの街は、多くの外国人観光客でバブル前の賑わいを取り戻したかに見える。だが鳥居さんは、ミナミをショッピングだけの街にはしたくない。歌舞伎や浄瑠璃など、大衆芸能が大きく花開いたかつてのミナミの賑わいを取り戻し、本当の意味でミナミを再生するために、鳥居さんは新たな挑戦を始めた。弘昌寺開山は、その第一歩でもある。

生き方をひも解くキーワード

人々の力を借りるために、
まわりの人に夢を語れ。

  • 1

    すべてを受け入れる。

    • ● 歴史をしっかりと知ること。
    • ● 親の想いを受け入れた時にこそわかることがある。
  • 2

    信念をもって毎日を生きる。

    • ● 決めたことは、最後まで曲げない。
    • ● 信念が揺らげば、人の心まで揺らぐ。
  • 3

    生まれ育った地元を愛する。

    • ● いまの自分があるのは、見守り、育ててくれた地域のおかげ。
    • ● ホームタウンを愛してこそ、世の中に貢献できる。
  • 4

    できることはすべてやる。

    • ● 「できない」は、敗者の言い訳に過ぎない。
    • ● 門を叩いて開かなければ、別の門を叩けばいい。
  • 5

    ビジョンを描く。

    • ● できないと思った瞬間、夢は夢で終わる。
    • ● 夢を焦らない。できることから、まず始める。
    • ● まわりの人の力を借りるために、まわりの人に夢を語れ。

鳥居 弘昌 さんの哲学

「ミナミの将来を考えれば、必ず寺は必要だ」
ミナミに残る最後の寺だった竹林寺の移転が決まった時、師僧(師匠となる僧侶)から「このミナミの街の将来を考えれば、絶対に寺が必要だ。得度したものの努めとして、さらに修行を積み、寺を開いてはどうか」とアドバイスを受けた。
その時はまだ、本格的に住職をめざすつもりはなかっただけに、師匠の言葉が胸に響いた。
「ここは私がひとはだ脱ごう」
住職をめざして修行を始めた頃、知人に「鳥居さんがその気なら、私もひとはだ脱ごう」といわれた。
その人が紹介してくれたのが、最初に護摩焚きをはじめたビルだった。
あとでその場所が、大阪に出て商いを始めた鳥居家のご先祖が、最初に居を求めた場所と知って、運命を感じた。

Profile

鳥居 弘昌(とりい・こうしょう)

  • 1959年

    大阪市南区阪町生まれ

  • 1982年

    甲南大学卒業

  • 1987年

    株式会社大丸退社

  • 1989年

    株式会社鳥居ビル設立

  • 1991年

    本社ビル完成 TORII HALLこけら落とし

  • 1994年

    京都山科勧修寺にて得度

  • 2002年

    千日前一丁目振興会会長

  • 2005年

    法善寺前本通り商店街設立

  • 2011年

    勧修寺にて伝法懽頂 護摩法要開始

  • 2012年

    千日山弘昌寺開山

宗教法人弘昌寺 真言宗山階派千日山護法院・弘昌寺

Recommend

関西大学
名誉教授

藪田 貫さま

推薦人さまからひと言

イランに井戸を掘ったのが中村哲さんなら、道頓堀に”井戸”を掘っているのが鳥居さんです。
医師である中村さんは、飲み水こそ命の源と考え井戸を掘ったのですが、僧侶の鳥居さんは、歓楽街の道頓堀に
こそ、心の救いの場が必要だとして寺を建て、護摩を焚き続けているのです。時間はかかるでしょうが、文化の町道頓堀を再生する源泉となるでしょう。
将来が楽しみです。

みちびらき・岩﨑 隆の着目ポイント!

鳥居さんはブレることなく、とにかく大阪の街、ミナミの文化的復活を何十年も言い続けてこられました。経営者でありかつ地元を愛する町会長なんだと思います。

こんな方にはぜひお薦めです

  • 地域活動に取り組んでいる人様々な困難も乗り越えてこられました。
  • 大阪の歴史、文化に関心ある人ミナミ、道頓堀を中心に上方文化や歴史の興味深い対話ができる。
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